出雲市の賃貸アパート、マンション、不動産売買を、お客様目線でサポートします!株式会社たくみ

島根県出雲市高岡町462-1たくみビル2F

広報担当
たっくん

マスコットキャラ
2017年8月31日入社
【プロフィール】
・本名は出雲乃 匠(いづもの たくみ)
・性別年齢ともに不明。謎だらけ。UMA
・好奇心旺盛。ドジっ子
・三度の飯よりワタアメが好き
・雲から生まれた雲の子・・・一説によるとスサノオが「八雲立つ・・・」の和歌を詠んだまさにその時こそたっくん生誕の瞬間なのではといわれているが定かではない
・8人家族・・・出雲大社本殿の八雲絵図に雲が七つしか描かれていない事から、幻の八つめこそたっくんではないかと言われているが定かではない
・形見のマフラー・・・お母さんが夜なべして作ってくれたというカラフルなマフラーは前述の八雲絵図に酷似しているが、、、!?

宅地建物取引士 島根県 第2744号
少額短期保険募集者  
宮廻 健吾(みやさこ けんご)

お客様の案内係

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その他不動産業務全般!

1982年7月28日生まれ(いぬ年のしし座)

【趣味・好きなこと】
独身の時は映画や小説をたしなみましたが、結婚して子供もいる今はもっぱら気の合う仲間と美味しい食べ物や、飲み物を囲んでワイワイやることが一番の楽しみです!
そんなときは自家製の燻製や、ダッチオーブンで漢の料理をふるまいますよ♪
たま~に家族が寝静まってから一人静かにウィスキーとともに自分だけの時間をゆったり味わっています。
お酒は日本酒とウィスキーがすこぶる好きです。
どちらも人類が長い年月をかけて研ぎ澄ました気の遠くなるような技術と執念の結晶です!

【不動産業に対して】
不動産屋ってなんとなく怖いイメージで、入るのに勇気がいる場所だと思います。
「いい物件がなかったらどうしよう」「すぐ帰るのは気まずい」「しつこい営業されたらどうしよう」…等訪問するまでに色々と構えてしまいます。
かくいう私も、東京で一人暮らしを始める際に実際に経験しました。
恐る恐る入ったビルの一室で大量の物件ファイルをドンと置かれて「はいっ」でほったらかし…そのくせその日から何度もしつこい営業電話…

「あんな思いは味わってほしくない!」

いまや、時代は変わり、わざわざ嫌な不動産屋に頼まなくてもネット、メールを活用すれば家にいながら理想の住まいを探せる時代です。
数多くの不動産屋から選んでいただくためにはいかに「お客様目線」に立てるかが重要だと思います。
株式会社たくみは『お客様の嫌がることはしない!』を営業モットーとして、安心してお任せしていただける、「住まい探しのパートナー」として認めていただけるよう日々努めております。
住まいに関する事でしたら何でもお気軽におたずねください(^^)

 
【経歴】

『稗原小』時代

わずか7歳の小学1年生が往復8キロの通学路を歩かされる。
毎日の通学路がアドベンチャー。勝手に人の家を『給水所』にしてました。
 
『南中』時代

片道20kmある友人宅に普通に自転車で行き来していた非日常的な日常。
自転車さえあればどこへでも行ける・・・そんな風に思っていたあの夏の思い出・・・。

『出雲高校』時代

キューブリック映画ザミッシェルガンエレファントがどつぼにハマり、かぶれまくる。
ミッシェルにいたってはPVのビデオテープを一時停止し写真に撮って現像して部屋に飾っていました。・・・そんな世紀末。
 
『大阪外国語大学』時代

県外にて初の一人暮らし!・・・と思いきや、そうではなく、学生向けのシェアハウス。
地元では伝説の『スカイコーポ外院』にて世にも奇妙な物語を経験。

スカイコーポには屋上があってその名の通り空が見れました。

中国語と人生について沢山学ぶ。筒井康隆安倍公房にどハマる。

『天津』時代

大学の専攻語である中国語を身につけるため中国へ・・・。しかもお金を自腹で出すために留学ではなくインターンシップを選択!その勤務先が当時日本人従業員がゼロだった天津開発区(TEDA)の5つ星ホテル『TEDA国際ホテル』のホテルマン!


天津への往復はフェリーというストイックぶりで新天地で大活躍!
※2012年神戸-天津航路は運航終了・・・(・・・この時の中途半端なうぬぼれが後に日本の就活で大大挫折する前兆となるとは・・・)

『東京』時代

映画好きであったこともあり、もともと興味のあった映像制作の中でもとりわけ短時間に創意工夫を凝らすCM制作の世界にあこがれ、何を血迷ったのか特殊効果の会社『フィールドゴール』に入社。

特殊効果職人としてSMAPを吊ったり、CHARAを回したり、湯気を出したり、NEWSに雨を降らせたり、ガクトを炎であぶったり、しょこたんに雪を降らしたり、ペンを回したり、車を浮かせたり、回したり、しゃぼんだまを作ったり、たらこキューピーを動かしたり・・・・とにかく奇天烈な毎日。

ちなみに住んでいたのは小田急線沿いの「豪徳寺」駅から徒歩3分の『風呂無し』『トイレ共同』の物件。残念ながら現在は解体され、別の建物が建っていて豪徳寺駅周辺も見違えるほど変わってしまいました。風呂無しでも当時はすぐ近くに銭湯があったし、商店街の名残も残っていたのでとても住み心地が良かったです。

『大阪大学』時代

東京から戻ると母校が阪大に吸収されていて自動的に阪大生に!
ただしこの時就活をなめきっていたせいで大挫折・・・将来に絶望!・・・夢半ばにして地元の温かみをで傷心をいやすため故郷出雲へ帰る決意をする。 

大学入学時からの愛車リトルカブ「シェリー号」にて大阪→出雲へ

↑「シェリー号」※現在は違うオーナーのもとにいるため写真は宮廻作成のミニチュアです。

『帰郷後』

幸いにも親(社長)の経営する「株式会社たくみ」に首の皮一枚で雇ってもらい・・・なんぞかんぞで今に至る!

 

 

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